偽脚本書きが漫画に挑戦 -3ページ目

「敗者」の美学

結構、簡単にみんなやりたいことを変えていくもんだなー。けれどそれも仕方がないのかもしれない。適性がそこになかった場合、いくらいままでやってきたことが好きでも諦めざるを得ないみたいだ。

 

ある友達が、NSCを辞めた。自分には才能がないからだと気づいたかららしい。なぜ才能が無いと気づいたか?

 

やっぱり勝てないということを突きつけられるらしい。これは多分、NSCが真剣勝負の場だから仕方が無いのかもしれない。

 

やれるだけのことはやったかどうかもわからないまま、辞めさせられるそうだ。これはおかしい。期間内にやれるだけのことをやるべきだった。甘い。

 

芸の道は、簡単明瞭なところが良いと思う。だらだら続けることさえできない環境に身をおくことは重要だ。

力の無い人間は、敗北していく世界には潔さがある。しかし努力では補えないものがあることは自分としては信じたくない。

 

 

なぜ「作る」のか?

なぜ作るのか?

 

いままで考えたこともなかった。なんとなくだがおそらく、高校の時まで真剣な話をすることができる友達がいなかったからかもしれない。漫画は自分に真剣に本音を話してくれているような気がした。自分のように本音を話すことができない人間を助ける作品制作に強い魅力を感じたからかもしれない。

 

なぜ理由を忘れていたのか?

 

 私は、大学に入ってから真剣に本音を話すことのできる人間を手に入れたから。解決してしまったことが、もしかしたら自分の最初の行動原理なのかもしれない。

 

自分はなぜこういったことをするのか?もしかしたら昔、もっていなくて今はもう手に入れたことに解決の糸口があるのかもしれない。

「結果」を求めるとどうして作品を書く気がなくなるのか?

恥ずかしながら、一本書いた作品が少しの結果を残した。完成させていないにもかかわらず。

 

途端に書く意欲をなくしてしまった。私にとって作品を書くことは結果を出すためももちろん含まれる。けれど結果を出すために作品を書くのはとってもアホらしいと感じたのだろう。書く意欲をなくしたのはそのためだ。

 

 結果を出すために書く作品は必ず臭みを放つと思う。作ること自体を楽しめない人間が良い作品を作ることなんでできるはずがない。これが私の作品に対する思想

 

「努力の総量を増やすための思想作り」

 私の場合は、結果を出そうとするあまり、作品を書くために努力することが、嫌になってしまった。楽しんでやったほうが努力の総量は増えるという人間だ。しかしながら、目の前の結果を出すために努力をする人間のタイプもいるだろう。

 

 結局、「思想」にはまったく意味がない。どれだけ素晴らしい思想があったとしても、努力の総量の少ない人間は成功する確率が低い。どんなにつまらない、思想であったとしても、努力の総量が多い人間は成功する確率が高い。「僕は、結果を出すために作品を書いているんだ。書くのが楽しいからやっている人間なんて甘い人間が勝つはずがない。」

 

 思想にはまったく意味がない。自分を奮い立たせるために創った思想にこそ意味がある。結論として、毎日、なんらかの努力をするために思想を作ろう。「絵に描いた餅」のような立派な思想だけなぜか持っている努力のできない人間にはなってはいけない.

 

有用な漫画参考書「漫々快々」

漫々快々―みんなのマンガがもっとよくなる    Comickersテクニックブック
 http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4568502241/249-4527064-8423549

 

 

 

 

この漫画技法書は参考になる。漫画の質を決める要素が詳しく載っている。コマ割りや、導入部の書き方等の分かりにくい部分を、素人の投稿作品の悪い部分を批判して、直しをすることによって分かりやすく解説している。

 

 

 無意識に読んでいた漫画がこれだけのテクニックを駆使した作品であることを恥ずかしながら私は知らなかった。論理を研究せずに良い作品はうまれないことを実感できる技法書だと思う。

 

この技法書の好感のおける所:技法を学ぶことによって作品が画一化してしまうことをちゃんと案じている所に好感がおける。作者は、自分の持っているものをちゃんと活かした作品を作るべきだと説いている。最終的に、論理を完璧に実践できるようになった後、論理を離れてオリジナリティーを追求するべきだと言いたいのだと思う。

「ピンポン」から見る漫画の美学

kin

ピンポン 全五巻 松本 大洋

 

 

内容:ペコとスマイルの、片瀬高校の卓球部に所属する幼馴染の二人が主人公である。ペコが「ペコ」と呼ばれる所以は、卓球は本当に強いが、自分の才能に自惚れている処があり、先輩に対しても挑発的だ。スマイルは、決して笑わないからペコがあえて「スマイル」と命名した。内気で無口だが、やはり卓球は強い。二人は噂の中国人留学生を迎えた辻堂学園高校卓球部の偵察に出かけ、留学生のチャイナこと孔文革と対面する。チャイナと卓球をしたペコは、一点も獲れずに敗北する。暫らくして片瀬高に、髪も眉毛も剃りあげた、スキンヘッドの高校生が参上する。海王学園高校卓球部のドラゴンである。ドラゴンは、絶対にインターハイで優勝すると宣言する。(抜粋)得に才能のない人間だが努力は人一倍する人間「アクマ」の登場シーンはどれも必見

 

 

脚本考察:「台詞の臭さ」がとても素晴らしい。これは漫画という媒体を最大限に活かした結果だ。実写を舞台にする人間が漫画を書くのは危険だ。この美学を理解できない人間は失敗する。「臭さ」を楽しめない人間は漫画を書くべきではない。それ程「台詞の臭さ」 「競争原理から離れることで見える景色さ」(アクマの台詞)こんな台詞を高校生が言うわけがない。極めつけは「笑止」(ドラゴン)こんな台詞言わないよ。高校生は。日常で使わない言葉が、漫画の世界ではすんなり染み込んで感動できる。これが私が漫画を愛する理由だと思う。本当に名作です。これほど濃密な時間を描ける人間のスキルを是非盗もう。

 

 

 

 

 

アドバイス:ときどき描いていると、「こんなことで人を感動させられるのか?」と怖くなる事がある。そんな時は自分の大好きな作品を読んで「感動」しよう。漫画や映画、ゲームが三度の飯より好きな人間のはずだ!君は。素晴らしい活動だということをしっかり頭に叩き込もう。じゃあ面白くないのは?自分のせいにほかならない。しっかり勉強だ。次回は脚本、漫画を書くための有益な書物を紹介する。是非参考にしてほしい。ただしまず一回実用書を読む前に、なんにもわからない状態で脚本を書いてみよう!実用書の欠点はそれを学ぶことによって突き抜けた感覚が削り取られてしまうことにある。隙だらけでもいい。まずは自分が書きたいことを「適当」に書いてみよう!そして実用書でテレクニックを学ぼう。順序を間違えると修正が難しくなってしまう。

「脚本」を書く魅力 アドバイス

私は脚本を書く。しかし脚本を書きたいから書き始めたのではない。必要に迫られたから。映画を一本作った時点で、このままでは資金的にもきつく作品の質も、脚本を軽視していてはよくならないと考えた。

 脚本を書き始めた当初は、一行書くことすらきつかった。なまじっか眼が肥えているために、下手くそな脚本を書くことができない。辛い。そこでお奨めしたいのは、自分の経験を下にした作品を書くことだ。自分の経験には愛着があるため書きやすい。作品の質は度外視できる。これは書き上げるという点を重視すると非常に良いメリットだ。とにかく一本仕上げることが大切だと思う。

私が、初めて書いた脚本は、映画を作った経験そして挫折を下にした喜劇だった。自分の挫折を乗り越えるためにも、「カバジェロ」という作品を完成させた。世間の評価としては、まったく評価されなかったが完成した時、いままで生きてきた中で最高に感激した。この「感激」が今、書く上での原動力になっている。「やりたいことはやったなー。もう死んでもいいな」とその日は思った。

一本書き上げて喜びを力いっぱい感じよう。脚本を書くことは地味だと思う。世間に認められなければただの紙くずだ。書いているとときどき自分がなぜこんな馬鹿なことをやっているのかと悲しくなる。現実を見ると友達には彼女ができている。ときどき現実に取り残されているような気がするのはしょっちゅうだ。そんな状況でも書くことが続けられているとすれば、一本を書き上げたときに味わった「感激」だと思う。とにかく「一本」書き上げよう。それが脚本を書くための最大の肥やしになるはずだ。

 

「ヒミズ」を考察

タイトル ヒミズ 作者名 古谷 実 全4巻

内容:「住田」は、モグラのようにひっそりと夢を追うこともなく生きることを望む中学生。しかし母親が蒸発したことが発端となり転落していく。普通に生きることを望むにもかかわらず「住田」はどんどん不幸になっていく。そればかりか彼を取り巻く登場人物も「住田」のせいで不幸になっていく。「住田」は自分が望んでいないのに不幸になっていくことに運命を感じる。「住田」は運命を感じながらも、なんとか生きる目的を持つために世間にいる犯罪者を自らの手で殺すことを思い立つ。つまりこの作品の見せ所とは、人間の転落していくさまをリアルに見せる所だ。


笑いの時間は終わりです。これから不道徳の時間です。

感想:稲中卓球部が代表作の作家にもかかわらず、ヒミズはひたすら暗い。主人公がとことんどん底に落ちていくさまは、高校時代の私に強烈な「リアル」を感じさせた。第一巻では、多少笑いの要素はあったが、主人公が父を殺してからはひたすら暗い世界観となった。漫画という媒体にあってこれほど暗い作品は売れない。女の友達にヒミズを貸したところあまりの暗さに読む気になれないと突っ返された。しかし太宰治の「人間失格」のような本物を感じさせる作品に興味があるならこの作品は読む価値のある名作だと思う。

脚本としての考察

登場人物設定

主人公「住田」:正義感の強い、ただ普通に生きることを望む中学生。生活レベルは釣り堀屋を営む家庭で貧乏。母子家庭。父は蒸発

準主人公「正造」:住田の友達。頭が悪くいじめらていたが住田に助けられる。住田を慕うあまり犯罪に手を染めてしまう。

「住田」という主人公が普通を望む理由とは、おそらく現状が悲惨だからだろう。だから夢を追わないから、彼が無気力であるとは言えない。


この作品の狙い:現実に生きていると、友達や家族が言うことがまったくのでたらめに聞こえる時がある。その時、人間はどういうわけか本質を求めるようだ。つまり本物の言葉とは、不幸のどん底にいる人間から吐かれるという固定観念を巧みに利用したことで、この作品が現実を見せてくれたと熱狂する読者を獲得したと言えよう。こういった作品を書く注意点としては、独りよがりにならないために主人公に共感を覚えさせなければならない。古谷実の絵柄が、典型的なアジア人顔であることも共感を誘うための手法なのかもしれない。