「結果」を求めるとどうして作品を書く気がなくなるのか? | 偽脚本書きが漫画に挑戦

「結果」を求めるとどうして作品を書く気がなくなるのか?

恥ずかしながら、一本書いた作品が少しの結果を残した。完成させていないにもかかわらず。

 

途端に書く意欲をなくしてしまった。私にとって作品を書くことは結果を出すためももちろん含まれる。けれど結果を出すために作品を書くのはとってもアホらしいと感じたのだろう。書く意欲をなくしたのはそのためだ。

 

 結果を出すために書く作品は必ず臭みを放つと思う。作ること自体を楽しめない人間が良い作品を作ることなんでできるはずがない。これが私の作品に対する思想

 

「努力の総量を増やすための思想作り」

 私の場合は、結果を出そうとするあまり、作品を書くために努力することが、嫌になってしまった。楽しんでやったほうが努力の総量は増えるという人間だ。しかしながら、目の前の結果を出すために努力をする人間のタイプもいるだろう。

 

 結局、「思想」にはまったく意味がない。どれだけ素晴らしい思想があったとしても、努力の総量の少ない人間は成功する確率が低い。どんなにつまらない、思想であったとしても、努力の総量が多い人間は成功する確率が高い。「僕は、結果を出すために作品を書いているんだ。書くのが楽しいからやっている人間なんて甘い人間が勝つはずがない。」

 

 思想にはまったく意味がない。自分を奮い立たせるために創った思想にこそ意味がある。結論として、毎日、なんらかの努力をするために思想を作ろう。「絵に描いた餅」のような立派な思想だけなぜか持っている努力のできない人間にはなってはいけない.