評論家が必ずしも良い作り手にはなれない理由とは? | 偽脚本書きが漫画に挑戦

評論家が必ずしも良い作り手にはなれない理由とは?


 何点かをまあ分析して評論したところ感じたのだが、描くと評論では雲泥の差があることがやはりわかる。


ゴールを常にみてしまう

 評論をするときいつも書くのはあらすじであったりテーマえあったりする。あらすじであったりテーマとはおそらく目標地点である。その作者にとっての。しかしながら目標地点には意味はそんなになくて道中がとても重要なのだと思う。


 評論家は常にゴールばかりを論じて、結局のところどういう感覚を描いたかであったり構図や寄り道を説明することができない。 たぶんその道中を大事にできなくなってしまうのではないか?


評論をすることで狙いをはっきりさせることは重要だと思う。しかしながら他人の狙いがわかったところで自分の狙いが見えてくるとは限らない。


 結局のところ、良い部分ばっかり見て自分でできた気になっているだけのことなのだと思う。ここらへんはスポーツと似ている。理論と実践はまるで別物だ。


 悩むことを破棄してまで評論して、こういったものが素晴らしいんだな。そうか。みたいな決め付けで描くことはしないほうがよさそうだ。