偽脚本書きが漫画に挑戦
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ゼロからの脚本術を読破

かけいまさやさんのプロット術が参考になった。


始まり

ポップ

アップブロックにひっかかって書き直し。


大宮エリーって人がうらやましい。


むかつくぜ

始まり

大宮エリー、脚本の勉強をしたことが無いらしい。


ゼロからの脚本術に書いてあった。


うらやましいぜ。


久しぶり。




ドラゴン桜 


   1~10以後続刊



出版社/著者からの内容紹介
「教えてやる!東大は簡単だ!!」
常識破り 処世術

弁護士・桜木による落ちこぼれ高校の再建計画、その内容は東大合格者100人!!
日本のルールは東大を出たやつが作っている
だから……東大に入れ!!

もっとも効率的な学習法を教えよう!!

企画について

 この漫画は企画の勝利だと思う。受験戦争は昔からあったはずなのに受験漫画はなかった。そういう意味でのパイオニア的存在だ。

ストーリー

東京大学に合格させるために具体的かつ有効な勉強方法を紹介する。

また感心したのは、勉強の仕方や取り組むべき姿勢から日常生活での生き方のヒントまで隠されているのだから素晴らしい。

評価 

おそらく作り手がこの企画を思いつくことは無いだろう。なぜなら今までにこういった漫画が無いからだ。作り手になりたいと思う人はおそらくいままで読んだなんらかの漫画に影響を受けている。

だからこういった作品を生み出すことができない思考回路になってしまうのだと思う。

作り手になりたい人にこそこの漫画を薦める。 まさに意識の外にあった作品だ。また歯がゆい思いをするに違いない。

こんなの本当の漫画じゃない!

そう考える人はあまりにも作ることに頭がいきすぎて頭が固くなってしまっているのではないか?

海がきこえる

  監督: 望月智充   ジブリ



高知県土佐で青春時代を過ごした青年・拓が、帰省する飛行機の中で高校時代を回想していく。そのなかには、両親の離婚のため東京から引っ越してきた、成績・運動ともに優秀でありながらも、誰にも心を開こうとしない少女・里伽子の存在があった…。
スタジオジブリの若手スタッフが中心となって作り上げた青春TVアニメ・ムービーで、後に劇場公開。監督は『めぞん一刻 完結編』などの望月智充が担当している。作画枚数など他のジブリ作品に比べると見劣りするが、そこを逆手にとっての淡々とした味わいが、独特の好ましい雰囲気を醸し出している。また、それは現代の若者ならではの淡白さをも露呈させているような気もしてならない。氷室冴子の原作は、その後武田真治主演によるTVドラマ化もなされている

考察:この映画は高知県を舞台にしている。そして登場キャラクターは里佳子も含めてとても純粋なのだ。異性慣れしていない姿が青春の時代を思い出させてくれる。

 特にこの歳になって考えさせられるのは、僕が高校三年生だった頃そして大学に進学して一人暮らしを始めたこととだぶること。この作品の売りはおそらくノスタルジーなのだと思う。僕はこの映画を見て急に実家に帰りたくなった。

自分と重ねあわせることができる人にとってこの作品は忘れられないものになるはずだ。

また登場キャラクター全てに言い分がある。どれも悪いキャラクターではないのだという手法は僕好みの作品スタイルといえる。

この作品は昨今話題になっているはちみつとクローバーのやり方にとても似ている。キャラクター一人一人に言い分がありそしてありのままの姿を映す手法も。

なぜこの作品が日の目を見ないのか?ジブリ作品であるというのに知っている人は少ない。時代が早すぎたのだろうか?とても素晴らしい作品だと思う。ジブリ作品の中でも特にお気に入りの作品だ。

キャラクター考察

主人公 森崎は高知県に住む高校三年生。そしてその親友の松野も同じく高校三年生。高知県の方言?の土佐弁を使うことによってノスタルジーと純粋さを表現することに成功している。

 森崎と松野が親友になった経緯を描くことで後の二人の切ない友情がクローズアップされる効果を持つ。

里佳子が親の離婚で高知の母親の実家に転校してくるのだが、松野が好きになってしまうという設定。

里佳子は、徹底的に高知のクラスメイトとなじもうとしない。このキャラクターがこの作品の肝であってとても意地悪な女を演じている。だけど親が離婚したという設定が後々にこのキャラクターが意地悪な女でいけなかった理由が明らかになるにつれて視聴者がこのキャラクターに人間味を感じる手法。

純粋、真面目ということ


僕は田舎者だ。だからかもしれないが純粋、真面目であることが恥ずかしかった。でも今その純粋であったり真面目であることが素晴らしいことなのではないかと思う。

特に主人公の森崎と準主人公松野のやり取りにはいつも感動して泣いてしまう。

あーこうだよな。こうあるべきだよな。と思う。

最近、人間に疲れていたがこの作品を見たことによって自分の生きる指針が見つかった思いだった。

良い人間。 長らく忘れていた。



ぼくんち

 ぼくんち 西原 理恵子



「ぼくのすんでいるところは―/山と海しかない しずかな町で―/はしに行くとどんどん貧乏になる。/そのいちばん はしっこが/ぼくの家だ―」。腹違いの兄、一太。突然現れた、美しくてやさしい年の離れた姉、神子(かのこ)。そして「ぼく」、二太。クスリを売る。体を売る。金を貸す。とりたてる。この町の多くの大人たちは、そんなふうにして生きている。

神子ねえちゃんは言う。「泣いたらハラがふくれるかあ。泣いてるヒマがあったら、笑ええ!!」。ヤク中の父を亡くしたばかりの少女は、うまく泣くことさえできずに、不思議そうにこう言う。「息するたびにな、ノドの奥に小石みたいのがたまるんよ。食い物の味わからへん」。むき出しの現実を見ながら、幼い心にいくつもの決意を刻んで「ぼく」は成長していく。

映画化(2003年)にあわせて、オールカラー全3巻だったものを白黒の普及版として1冊にまとめたもの。見開き2ページのショートストーリー114話で構成。巻頭には、描きおろしのカラー漫画が4ページ収録されている。日々の出来事を2ページで描きつつ、一太が家を出るあたりからは全体を通して話に流れが出てくる。彼らはいつも、あきらめたような、悲しいような笑みを顔に貼り付けて、痛いほどにただただ求めている。自分の家で、家族そろって暮らすことを。ともに食卓を囲むことを。ラストシーンで二太が見せる笑顔は、痛ましさと同時に少しの希望を感じさせ、いつまでも胸に残る。(門倉紫麻) (アマゾンより抜粋)




考察:家族について扱った漫画。描いているところは貧乏人の悲哀。でも本当に美しい話だと思う。僕はこの漫画を読んで何度も泣いた。感情を揺さぶられるこの漫画は泣かされるというあざとさが無い。自然と自分の中に入ってくる感動。




童話のような絵柄ながら扱っているものは麻薬であったり売春であったり。でもそれがとても美しい。姉ちゃんを慕う。義理?の兄弟が姉ちゃんを楽させるために一生懸命になっていく様に泣ける。また姉ちゃんの兄弟に対する愛にもやはり泣いてしまう。人間が求めているものがここにある。



全ての人に読んで欲しい漫画であってあんまりネタばれはさしたくない。感動が薄れてしまうと思うので。



僕はこの漫画を3回も買っている。それはなぜかというと友達にこれをいつも薦めて借りパクされてしまうからだ。でも僕はこの漫画を布教できてうれしいと思ってまた同じこの漫画を買うのだ。



是非読んでください。僕が一番薦めることができる漫画かもしれないので。







エマ

 第1~6巻 森 薫


森薫氏が贈る人気コミックの第1巻。19世紀末の英国を舞台に、貴族と使用人との身分違いの恋を描く傑作ラブロマンス

感想 ラブロマンスと書いているが、19世紀末のイギリスがリアルに書かれている。とても綺麗な背景画が描かれていてデッサン力があるなーと唸ってしまう。ラブロマンスと言いながら、そこまで見ていてベタベタしていない。それよりも19世紀末のイギリスの社交界の華やかさに感心してしまう。

これだけ細部にまでこだわっている漫画は珍しい。作者は後ろでメイド漫画家とか言ってオタクぶってるが、

この漫画自体には清潔感があふれ出ている。オタクっぽさはまるで無い。NHKがアニメにしたのはたぶんこの清潔感ゆえだろう。

演出  エマが勤めている雇い主である、老女(貴族の教育に携わっていたが引退して隠居している)が死んでしまうシーンがあるんだがよくできている。 

 冒頭で、エマはいつも通り掃除をしている。読んでいると気付かない。前話では、雇い主を看病していたということを忘れてしまうぐらいの普通な感じ。

 エマは、自分の部屋を掃除しながら初めてロンドンに来てこの部屋に住み始めたことを思い出す。そして窓から見る景色を見てここに来てよかったと思う。

で、現在に戻って窓からの景色を見る。 そして猫に餌をやりながら、もうここを離れるから次の家を探すのよ、と言う。 雇い主が死んでしまったことがやっと分かるのだが読み戻ってみると全てが分かる。

あー人が死ぬってことはこういうことなんだなーと唸ってしまう。

本当に良い漫画。 清潔感。 悪くない。

リアル  井上雄彦


 リアル 1~4巻 以下続刊



ストーリー バスケをやめてから何をやっても上手くいかなくなった男、野宮朋美が古ぼけた体育館で車イスの男、戸川清春と出会ったことから物語は始まる。彼らが直面する現実とは…?

リアル


 タイトル名にもあるとおりとても現実的。この場合の現実とはおそらく悲観的な形。決してスラムダンクのように、トントン拍子にうまくいくことは無い。登場する人物はみななんらかの悩みを抱えている。またこの漫画の主人公と思われる、戸川というキャラクターは、骨肉種という足の病気で車椅子になってしまう。車イスバスケを通して生きる希望を見つけていく姿が、僕らがいつも抱えているコンプレックスから立ち直ろうとする時とダブる。



キャラクター設定


 この漫画では、身体障害者について扱っている。しかし身体障害者の人達がかわいそうだ。という所を強調しないように持って行く所がうまい。戸川清春が属する車イスバスケのチームでは、真剣にバスケをすることを望む戸川を疎ましく思う人間も登場する。全てが平行であるということを訴えたいのだろう。また嫌なキャラクターの代表みたいな高橋も交通事故で生きる希望をなくしてしまう所もすごくうまい。



見所 僕らが生きている中で、人に誇れるような名誉を手にすることができる人間は圧倒的に少ない。


この漫画はどうにかして現状を変えようとする時、あらわれる充実や喜びをとても綺麗に描いている。

この漫画では読む人、全てが現実の今の自分を肯定できるような誰にでも手にすることができる充実を描いている。 人を選ばない漫画。




評論家が必ずしも良い作り手にはなれない理由とは?


 何点かをまあ分析して評論したところ感じたのだが、描くと評論では雲泥の差があることがやはりわかる。


ゴールを常にみてしまう

 評論をするときいつも書くのはあらすじであったりテーマえあったりする。あらすじであったりテーマとはおそらく目標地点である。その作者にとっての。しかしながら目標地点には意味はそんなになくて道中がとても重要なのだと思う。


 評論家は常にゴールばかりを論じて、結局のところどういう感覚を描いたかであったり構図や寄り道を説明することができない。 たぶんその道中を大事にできなくなってしまうのではないか?


評論をすることで狙いをはっきりさせることは重要だと思う。しかしながら他人の狙いがわかったところで自分の狙いが見えてくるとは限らない。


 結局のところ、良い部分ばっかり見て自分でできた気になっているだけのことなのだと思う。ここらへんはスポーツと似ている。理論と実践はまるで別物だ。


 悩むことを破棄してまで評論して、こういったものが素晴らしいんだな。そうか。みたいな決め付けで描くことはしないほうがよさそうだ。